さつきのきろくーや

記録を残しておくところ

子どもの頃の夢

皆さんは夜、きちんと眠れていますか?私は崩れた生活リズムがデフォルトになりはじめました。睡眠障害ではありません。

「どんな記事書こうかな」と、ふと迷い、TOPの忘年会の時に何人かに声をかけお題を募集していました。今回はお題消化シリーズです。不定期かつのんびり更新、時々そのまま忘れます。

 

今回は小さい頃の夢についてです。

 

小さい頃の夢を覚えていますか?

私はその時その時でいろいろ夢を持っていました。どういう経緯で夢をみて、どうして諦めてしまったのか、というなんとも恥ずかしいこともなんとなく覚えています。

せっかくいただいたお題なのでここに記録していきます。

思い出してたら楽しくなってしまい、長々と語ってしまいました。話すのも書くのも、頭良くまとめられないですね。

 

・おひめさま(?~4歳)

なんの物語か漫画かはイラストかは覚えていませんが、いわゆる女児が好きそうなどピンクでリボンとフリルがふんだんに使われたドレスに金髪でゴリゴリに巻かれた巻紙、コテコテに輝いた大きな瞳、“theお手本”のようなお姫様が好きでした。picoのディズニープリンセスのゲームでおひめさまとしての振る舞いを学びつつ、ゲームの機能でずっとお絵描きをしていました。振り返ってみるとこの頃からお絵かきが好きだったのかもしれません。

諦めた原因は、それ以上に魅力的な存在が生まれたからでした。

そう、プリキュアです。

  

プリキュア(4~6歳)

ちょうど私はプリキュア世代でした。「ふたりはプリキュア」ですね、初めて見た女児アニメでもあります。見てる当時はかしこく落ち着いていてる「ほのか」がとてもすきで、憧れのお姉さん的存在と思っていました。思えばこの時からロングヘアに憧れていたと思います。プリキュアごっこをしたらみんな「ほのか」をやりたがり、ほのか役が3人、なぎさ役1人、ほのかの家の犬が1人、でごっこ遊びをしていました。

諦めてしまった理由ですが、東京に引越ししばらくだった頃の冬の日、保育園で友達(といっても華のある?女の子グループの腰巾着をしていました。)と話している時に「もうすぐ小学生になるのにまだプリキュア見てるの〜?」と言われ、「もうすぐ小学生になるのにプリキュア見てたら恥ずかしいんだ!」と気づいて見なくなったことが原因でした。

今でこそそんなことないよ、好きなものは好きなままでいいんだよと言ってあげたくなりますが、保育園時代から誰かの腰巾着をするような女児には気付く由もないでしょう。

 

・パン屋さん(6~8歳)

具体的には、「大きくて立派なイチョウが立っている空き地を買い取って、母とふたりで“大きなイチョウのパン屋さん”というお店を開く」という夢でした。

お絵かきが好きだったのでロゴまで考え、メニューも母と一緒に考え、母には「パン作れるようになってね!」などと伝えました。私は料理よりもデザイン周りがやりたかったんだな。一面黄色になったイチョウの絨毯の下で、紅茶とサンドイッチを食べながらお客さんが本を読んだり思い思いに過ごすところを想像して、とても幸せな気持ちになったことを覚えています。

諦めてしまった理由は、その空き地が悲しいことに駐車場になり、イチョウの木はばっさりと切られてしまったからでした。とてもとてもショックで、なんて意地悪なことをするんだ、駐車場許すまじ!とぷんぷんしていました。

これは余談ですが、私の好きだった場所はだいたい駐車場になっています。好きだった大木たちもみんな無残にも切られてしまいました。世界は無情でした。

 

・漫画家、イラストレーター(9~14歳)

小学生になり何がきっかけかは分かりませんが、中学に入るまで私は「ちゃお」を愛読する、いわゆる「ちゃおっ子」でした。私の世代の代表作と言えば「きらりんレボリューション」(やらないかの元ネタがこれです)、「めちゃモテ委員長」あたりでしょうか。私は篠塚ひろむ先生の「恋するプリン」が当時も今も大好きです。ここの主人公もふわふわでくるくるのロングヘアです。兄は兄でコロコロをずっと読んでいました。月刊誌だと次の巻が出るまで1ヶ月あり、2週間くらいお互い読み込むと飽きます。なので、私のちゃおと兄のコロコロを交換して次の巻が出るまで凌いでいました。当時のコロコロで好きだった漫画は「推理の星くん」、「怪盗ジョーカー」(アニメ最高でした)、「ペンギンの問題」あたりでした。ワールドホビーフェアとか毎年行ったなぁ。

この頃からイラストを描くのがとても好きで、一人でこっそりマンガを描いたり、好きなマンガや「ぷよぷよ!」の説明書見ながら模写したり、漫画家になりきれるACゲームを狂ったようにやり込んでいました。

小6から、忌々しくも懐かしい、悪友のような存在である「うごくメモ帳」に手を出し、毎日のように黒歴史を生み出し続けていました(サービス終了の瞬間まで。)

この夢を諦めたきっかけは、中2の時の職場体験で、イラスト製作会社で職場体験をさせて頂いた時でした。 

現場を見た時は圧倒されました。今まで少女漫画か、中高生のラクガキできゃっきゃ言っていたのが大きく崩れました。そもそも「大の大人」が真剣な顔で「イラストを作っている」という状況が私の中では衝撃だったのです。お仕事をしているイラストレーターさんの顔や雰囲気を肌で感じ、ふと「私はこういったことはきっと向いていない」と思ってしまいました。イラストを描くのが好きでいたいなら、イラストは仕事にしない方がいい、と中学生ながらに感じ取りました。そこで折れずに情熱注げば今より多少は絵うまくなるやん、過去の私の意思は今と変わらず脆く弱いですね。

 

・声優(10~13歳)

小1から中1まで、芸能事務所に入所していました。と、言ってもとても大規模な事務所なので時々エキストラに参加する程度でした。週一で演技と+α自由選択でレッスンを受けていました。

小5になると+αで選択できるレッスンに「声優」が追加されました。当時うごメモに触れ始め、オタクの卵となり深夜アニメを見始めてはアニメ絵に萌えた私は「これしかない!!」と声優を選択しました。

レッスンは今までで1番楽しかったし、教材で中途半端に「未来少年コナン」をラスト直前まで見たせいで、未来少年コナンをきちんと完走したい!と今でも思っています。好きなキャラクターはダイスです。

諦めた理由は、単純に演技が下手だったことです。楽しいけど。声だけで演技をするのは想像よりずっとずっと難しいです。あと風邪ひくといつも声が出なくなるので、喉風邪ひきがちな私は多分向いてないな、と謎に言い訳をして納得しました。

 

・風俗店経営者(16~18歳)

この時期を「子供の頃の夢」としてもいいのか曖昧ですが、戒めも込めて恥ずかしながら記録したいと思います。

具体的には「手コキの専門店があれば手使って出すだけだし安全(?)かつ回転率もよく(??)射精させることが可能なのでは?」と思い至ったことです。手コキ屋さんですね。文字のインパクトもあるしいける!と何故か思っていました。この謎の自信と思い切りの良さは一体どこから湧いてくるのでしょうか。

高校時代はこういうことを他にも色々考えて孤独を凌いでいました。今よりエグい上に生々しいです。

諦めた原因は、当時の信頼出来る友人達全員にに全力で止められ、友達がいないことを全力で慰めてくれたからです。このおかげでまだ人間の形をたもてています。当時は本当にご迷惑をおかけしました...。

 

ここまでつらつらと自分の夢を語りました。

そして、何一つ叶えられずに成人してしまいました。

 

成人したばかりの私は、夢を語ることが苦手です。

 

成長するにつれ、夢はだんだんと現実みを帯びて、叶えることが可能になっていきます。お姫様だってプリキュアだって、本気でなりたいと思えばなれるはずです。

夢を叶えることための行動や努力を私はできたのか?それを叶えるという形で結果を出せたのか?

私はどちらもできなかったので、時間だけが経ちました。何も結果が出せなかった自分の怠惰さや無能さで、自分を痛めつけることしかできません。これ以上自分のことを傷つけたくないので、夢を持つことから目を背けています。

なんて愚かなんだろう、人間の可能性をなんだと思っているんだと怒鳴りつけたいところです。結局逃げ道のために言い訳をしているだけじゃないか、そんなんだから何も成長しないんだぞ!

ただ、心のどこかで夢を見続けたい自分もいます。ふわふわと、淡い夢をうすい雲のように浮かべておきたいのです。疲れた時に甘いものを食べて休憩するように、ああなったらいいな、と幼い頃のように夢見ることはゆるされるのでしょうか。

 

 

皆さんは、昔の夢を覚えていますか?

夢を見続けていますか?

夢を叶えたことがありますか?

その夢はどうか、大切にしてくださいね。